スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテという長い首都名について

スリランカの首都をご存じだろうか?

そう、何を隠そう、首都名は「スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ」なのだ。

私が中学生のころ、学習塾の地理の時間に教科書で発見し、その名前の長さに唖然としたことがある。
暗記するのに苦労した一方、こんなにも長い首都名の国もあるのなら、一度はいってみたいものだと深い感銘を受けたものだ。

だが、その時はそれ以上、スリランカに夢をふくらませるほどの余裕はなかった。
現在のゆとり教育とは違い、当時の学習塾というのは意外にシビアなもので、何しろ、教師が竹刀を持っているのである。
その竹刀で黒板をバンバン叩きながら、世界各国の首都を暗記するよう、ぼくらに要求するわけだ。

さすがに竹刀は気合を入れるためだけの、見せかけのハリボテアイテムであることは当時の私にもわかっていた。
実際に叩かれた生徒がいたわけではないし、そのあたりは出来た教師だったと思う。
それでも、うとうとしていようものならチョークが飛んでくるので、必死になって世界各国の首都を覚えたものである。

これが当時の詰め込み教育のリアルな実態だったわけだ。

アメリカやフランス、あるいはイギリスといった首都名は特に覚えるまでもなく知っていた。
だが、中東や南米、東南アジア、あるいはアフリカあたりの首都名については国のイメージがつかないため、暗記するのに苦労したことを覚えている。

そのなかで、一国だけ、異常に長い首都名のある国が存在した。
それが前述したスリランカなのである。

ただ、これはやっかいというわけではなく、長すぎてインパクトのある首都だったので、
意外にも私はスリ・ジャヤワルダナプラ・コッテをすぐに暗記することができた。
インパクトがあって記憶に残るのならば、多少、長い地名であっても覚えてもらえるものである。

ただ、スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテの歴史は意外にもまだ浅い。
コロンボから首都が移転されたのが1985年のことであるから、
当時の出来立てのスリ・ジャヤワルダナプラ・コッテの時代に私はすでに生まれていたわけである。

今思えば、竹刀を持って教壇に立っている教師の姿というのは異様なものでしかないが、そこまでして知識を暗記させてくれたことには感謝している。
もちろん、その後の人生でこの長い首都名が役に立ったということは一度もない。

だが、
「インパクトがあれば記憶に残りやすい。」
この教訓を教えてくれたのは、他でもないスリ・ジャヤワルダナプラ・コッテなのだ。

セイロン諸島とは何か?

今回はセイロン諸島について調べてみました。

調べてすぐわかったことですが、実は“諸島”ではなく、単なる「セイロン島」というのが一般的なようです。私のなかではなぜか諸島となっていたのですが、ひとつの島のようで、スリランカの国全体が入っている島国のもようです。つまり、「セイロン島(地名)=スリランカ(国名)」といっても過言ではないでしょう。

アフリカ大陸の東、そしてカンボジアやベトナム、フィリピンなどのアジア諸国の西、加えて、インドや中国の南の島に位置するわけです。

この個所を通過すれば、アフリカ、ヨーロッパへつながるわけですから、先の大戦においても日本にとって重要な意味を持つものでした。当時は日・独・伊の三国同盟を結んでいたわけですが、ドイツ、イタリアへとつながる道を確保するためにも、この島の重要性は高かったわけです。とはいえ、もともと英国の植民地であり、イギリス人がセイロンと呼ぶようにもなったわけですが、英国とも争うようになったものでした。

ただ、考えてみますと、1902年には日英同盟があったわけですので、なぜ、そのような対立することになったのかは不明ですが、年代的にいえば、日本とイギリスの同盟は1923年ごろに失効しているようなんです。このあたり、紆余曲折を経てセイロン島にて対立するようになったのではないかと考えられます。

セイロン島ではイギリスの植民地下にて茶の栽培などが盛んだったことから、今でも茶の生産があるようで、セイロンティーなどと呼ばれているようです。

モルディブは諸島だ!

一方、こちらはスリランカではなく、モルディブ共和国になりますが、こちらはモルディブ諸島と呼ばれております。海のきれいな高級リゾート地として有名ですが、位置についてはまったくわからない人が多いかもしれません。場所的にはスリランカのすぐ近く、南西の方向にあたりますが、小さな島が点在しているところらへん一帯をさすようです。

ここへはどうやっていくの?という疑問もありますが、マレに国際空港があるらしく飛行機でいけるもようです。
スリランカ航空などを利用していけるようですね。

結論

セイロンは大き目の島、モルディブは小さな島がつらなった諸島と考えておくとよいでしょう。